島のあゆみ
大きな災害を乗り越え、人々の絆で歩んできた奥尻島の物語。
1993年(平成5年)7月12日。奥尻島は日本海観測史上最大級の地震と津波に襲われました。 深い悲しみと、全国から寄せられた支援への感謝。その記憶と教訓を胸に、島は力強く復興の道を歩んできました。
奥尻村が発足し、現在の奥尻町へとつながる自治体として新たな歩みが始まりました。
町制を施行し、「奥尻町」が誕生しました。漁業を基幹産業として発展を続ける一方、港湾や交通など生活基盤の整備が進み、島の発展を支えるまちづくりが進められました。
旧奥尻空港が開港し、函館との定期航空路が就航しました。離島の交通網が大きく向上し、島民の暮らしや観光、産業の発展を支える重要な拠点となりました。
22時17分、奥尻島北方沖を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生。日本海側で観測史上最大級の規模で、奥尻島は震度6相当の揺れに見舞われました。
地震発生からわずか数分で大津波が襲来。最大遡上高は約29mに達し、青苗地区は津波と火災により壊滅的な被害を受けました。島内では198名の尊い命が失われました。
全国から寄せられた温かい支援のもと、「奥尻町災害復興計画」に基づき、防潮堤や津波水門、避難路、人工地盤などの防災施設を整備。安全で安心して暮らせるまちづくりが進められました。
震災から約5年。島民の努力と全国からの支援に支えられ、奥尻町は「北海道南西沖地震災害完全復興宣言」を行いました。復興への感謝とともに、災害の教訓を未来へ伝える新たな歩みが始まりました。
北海道南西沖地震の記憶と教訓、そして全国から寄せられた支援への感謝を後世へ伝える施設として奥尻島津波館が開館しました。防災を学び、命の大切さを考える場として多くの方が訪れています。
滑走路の延長工事が完了し、新しい奥尻空港の全面供用が開始されました。より利便性の高い空港として整備され、現在も島の空の玄関口として重要な役割を担っています。
奥尻町は、ふるさと納税制度の開始にあわせて寄附の受け入れを開始しました。全国の皆さまから寄せられる温かいご支援は、産業振興や子育て、防災、地域づくりなど、島の未来を支えるさまざまな事業に活用されています。
島の新たな産業づくりや雇用の創出、観光振興を目的として奥尻ワイナリーが誕生しました。奥尻の風土を生かしたワインづくりが始まり、「奥尻ワイン」は島を代表するブランドの一つへと成長しています。
奥尻島津波館では、犠牲者を悼む「198のひかり」とともに、災害の記録と教訓、支援への感謝を後世へ伝えています。震災の記憶と全国からいただいた支援への感謝を忘れることなく、防災・減災への取り組みを続けています。また、生うにやあわび、奥尻和牛、奥尻ワイン、お米など、豊かな地域資源の魅力を全国へ発信しながら、持続可能で活力ある島づくりを未来へつないでいます。
青苗遺跡などから出土したヒスイの勾玉は、奥尻が古くから人々の暮らす島であったことを物語ります。なかでも「丁字頭勾玉」は町の文化財に指定され、奥尻島津波館で大切に展示されています。